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京都人 Vol.004下緑町

2016年08月17日 UPDATE

第三代 後藤嘉之

祖父の味を忠実に守り続ける和菓子店の三代目。

「機械を使うのは、ぼうろを焼くときだけ。 あとはみんな手作業です」。

御倉屋 第三代 後藤嘉之

昔のやりかたを守るのが、個性。

 生活に密着したみずみずしい俳句で知られる昭和の女性俳人・中村汀女が、御倉屋の看板菓子「旅奴」について文章を残している。後藤常三著『歴々着到』140ページより、以下引用する。
 カステラとボーロの中間のようなサクッとした台に黒砂糖みつをからませただけのものですが、一口かみほぐしたときに広がるその味わいは上菓子にない趣で、茶人に好まれるところです。(略)職人かたぎの店主は〝おいしい菓子を〟を味本位に徹し、日持ちなどは全く考えていないので、求めたらすぐに召し上がることです。
 中村汀女がこう記したのは1973年。42年が過ぎた今、そのままの旅奴が味わえるのはすごいことだ。
 

発明家肌の初代の
真摯な姿勢

 
 仕事の合間を縫って話をしてくれたのは、御倉屋の三代目の後藤嘉之さん、父である二代目の清見さんと菓子工房に入り続ける。祖父にあたる初代の常三さんは、亡くなる直前の2007年、93歳まで、三代並んで菓子作りをしていた。
 旅奴を考案したのは初代の常三さん。「よそにないものを作る」を目標にした発明家肌の人物だった。1914年生まれ、1928年から和菓子屋に奉公に出た常三さんは、理想的なあんを煮るために落差式石油バーナーを自作し、特許をとった。ちなみにバーナーは約20年前まで現役で鍋を温めていた。
 常三さんの著書『歴々着到』には、その真摯な姿勢が記されている。
 「研究には、これでよいという限度がない。一生が研究の明けくれでなければならない」「菓子屋は菓子づくりが本職で(略)実業家のようなまねをしてはいけない」「つくれば売れた時代はとおく過ぎさり、現今では『まやかしもの』は売れない時代になった」(25〜28頁)。
 主語こそ菓子屋だが、自分の仕事に置き換えると、突き刺さる言葉だ。
 

旅奴をデパートに
出品しない理由

 
 厳しい常三さんの薫陶を受け、精神を受け継ぐのが、清見さんと嘉之さんだ。旅奴のインターネット販売は始めたが、デパートへの出店は断り続ける。
 「大量につくるには機械を導入しないといけなくなる。自分の手で触らないと生地の硬さやふくれ具合、違いがわからない。販売も自分の目が届かなくなる部分が出る。だから、ダメなんです。」
 工房にある機械は、旅奴を焼くのに使うオーブンだけ。すべてが手作業だ。
 季節や材料によって条件は変わる。嘉之さんは常に同じ菓子を作り続けることに腐心する。
 「昔のやりかたを頑なに守り続けることも、店の個性のひとつと思います。」
 上品なのに素朴。軽佻浮薄に流されず、偏屈なまでに変わらない。ごろりとした見かけの旅奴、芯がどうにも骨太な理由がわかった気がした。

旅奴。レトロな風合いの包装紙も昔ながらのままだ。「波照間産の黒糖を使っています。黒糖って、島によって味が違うんですよ」。つい後を引く味わいだ。

旅奴。レトロな風合いの包装紙も昔ながらのままだ。「波照間産の黒糖を使っています。黒糖って、島によって味が違うんですよ」。つい後を引く味わいだ。

静かな店内に和菓子のショーウィンドウは置かれていない。注文を聞くと店員は中に入り準備をし、待合で客は待つ。昔ながらの和菓子屋のスタイルだ。

静かな店内に和菓子のショーウィンドウは置かれていない。注文を聞くと店員は中に入り準備をし、待合で客は待つ。昔ながらの和菓子屋のスタイルだ。

御倉屋の建物は数寄屋造り。第一人者として知られる中村外二の作。

御倉屋の建物は数寄屋造り。第一人者として知られる中村外二の作。

Shop Data
店舗名 御倉屋
住所 京都市北区紫竹北大門町78
電話番号 075-492-5948
営業時間 9時~18時
定休日 毎月1日・15日、8月16日、1月2・3日
URL http://mikuraya.jp/
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